西公園・・・・黒田父子が祀られる光雲神社

2009 年 12 月 16 日

(父)

「ふぅ~っ・・・・。今日は光雲神社への出勤日。足腰が冷えるから、師走は朝が辛いのう。」

(子)

「しかし、父上・・・・。せっかく福岡の皆様が我等父子を西公園の光雲神社に祀ってくれているのです。寒さに愚痴を言わずにさっさと出発致しましょう。」

(又)

「これは珍しい・・・・。大殿が殿に諭されるとは・・・・。」

(多)

「全くだワイ。つくづく殿は立派になられた。最近では初代福岡藩主として、何かこう、貫禄が付いてこられたような・・・・。いやあ、大殿や又兵衛が歳をとるはずじゃワイ・・・・。」

(父・又)

「・・・・それはお互い様!」

(多)

「それにしても大殿は楽で良いではござらぬか?拙者と又兵衛がしっかり輿を担いでおります故・・・・。足腰が冷えるなどとは贅沢でござる」

(父)

「むむ?それにしても崇福寺(黒田家の墓所)から、光雲神社のある西公園まで遠いのう。ただ無駄話を続けても皆様に申し訳ない。長政が光雲神社の由来でもお聞かせしてはどうじゃな?」

(子)

「それは良いお考えで。では早速・・・・。そもそも光雲神社の起こりは黒田藩の藩祖である父上と、初代藩主である私を福岡城内に祀ったのが最初だと聞いておりまする。」

(多)

「何故それが西公園に移ったのでござる?」

(又)

「江戸時代の西公園は荒津山と呼ばれ、日光東照宮に因んで家康公を祀る東照宮があったそうでございます。まぁ、徳川家への忠節ぶりをアピールする為でしょうな。」

(子)

「ところが、明治維新で徳川幕府が倒れると、参拝客は絶えて荒津山は荒れ放題。そこで、廃藩置県で黒田家が福岡を離れる際に、父上と私を福岡城内から遷し、改めて荒津山に祀るように福岡の皆様が運動してくれたのです。」

(又)

「因みに光雲神社とは、大殿の称号『龍光院』の『光』、それと殿の称号『興雲院』の『雲』をそれぞれ組み合わせた名称ですぞ!」

(多)

「そうこう言っているうちに、着きましたワイ。」

*             *

(子)

「おや?茶席の用意がしてあるぞ・・・・?」

(父)

「随分立派な道具じゃな。さてはワシが来るのを見越してわざわざ・・・・。いやあ、人気者は辛いのう。」

(多)

「炭火も起こしてある。こりゃ有難いでござるな。」

(又)

「しかし、茶を点ててくれる亭主がおりませぬぞ。」

(多)

「だれもおらぬのであれば、それがしが茶を点て申そう。一度茶席の亭主というのをやってみたかったのでござる。どれどれ湯も煮えたぎっておる・・・・。エイヤッ!これが大殿の分。これが殿の分。これが又兵衛の分」

(子)

「あっちぃ~!」

(父)

「ワシのは濃すぎて気分が悪くなりそうじゃ!誰か水を・・・・。」

(又)

「多兵衛殿、そもそも茶席では一人ずつ茶碗を回すものですぞ。」

(多)

「面目ない・・・・。」

(子)

「又兵衛よ、父上はお茶にうるさいお方。誰か名手を呼んできてくれ。そうでないと父上の機嫌が悪くなる。」

(又)

「心得ました!」

(父)

「頼むぞ!」

*             *

(又)

「素晴らしい名手をお連れ致しました。博多を代表する豪商、今風に言うと大実業家にして茶人、即ちアーティストである島井宗室殿と神屋宗湛殿でございます。」

(CAST)

島井宗室・・・・1539~1615年。戦国~安土桃山時代の博多商人でも特に有名な『博多三商傑』の一人。茶人としても知られ、茶の湯を大成した千宗易(利休)とは茶人としても、同業者(貿易商)としても親交が深かった。豊後国(大分県)の戦国大名・大友義鎮(宗麟)と親しく交わり、義鎮の勢力拡大に伴って様々な営業特権を与えられた。九州を巡る三つ巴の決戦で義鎮が島津義久に敗れたことから脅威を感じ、織田信長、次いで豊臣秀吉と通じる。後に秀吉の天下統一・朝鮮出兵に協力し、文字通り『天下人の御用商人』となり、黒田長政の福岡城築城にも協力した。以下、(室)と表記。

神屋宗湛・・・・1551~1635年。安土桃山時代~江戸時代初期の博多商人。島井宗室と同じく『博多三商傑』の一人。中世博多商人の極盛期を開いた人物であり、島井宗室とは遠戚にあたるとも言われる。島井宗室と同じく茶人としても知られる。千宗易の先輩格にあたる堺の豪商・茶人である津田宗及と親交を結ぶ。博多商人の指導者的立場にあって、博多の復興・朝鮮征伐軍への補給等を取り仕切り、豊臣秀吉を支える側近の一人となる。以下(湛)と表記。因みに、ここでは宗湛は宗室を『叔父さん』と呼んでいる。

(室)

「これはこれは黒田様、お久しぶりでございます。」

(父)

「まったくじゃ。宗室殿も変わりなく。」

(子)

「宗湛殿も相変わらず商売繁盛で何よりだな。」

(湛)

「皆様のお陰でございます。」

(又)

「それで、先程お願いした件なのですが・・・・。」

(室)

「よろしい。私が皆様に茶を一服点てて進ぜましょう。宗湛も皆様とご一緒してはどうかな?」

(湛)

「はい、叔父さん。」

*             *

(父・子・又)

「美味い。生き返るようだ!先程の茶とはまるで違う。」

(多)

「そうでござるか?それがしが点てた茶とあまり味は変わらぬような・・・・。」

(父・子・又)

「全然違う!」

(多)

「ぐすん・・・・。一生懸命やったのに・・・・。」

(室)

「これこれ、茶会は参加するものの精神のふれあいこそ肝要。味や作法も大切ですが、茶を点て

てくれた者への感謝も大事ですぞ!」

(父)

「そうじゃな。多兵衛よ、すまなかった・・・・。ところで、宗室殿達に頼みたいことがある。」

(湛)

「黒田様が私と叔父さんに頼みごと?はて、何でございましょう?」

(子)

「実は、此度のお役目で福岡の町を読者の皆様へご案内するのは今回でお休みし、次回以降は博

多の町を紹介せねばならないのだが、その大役を引受けてくれないだろうか?」

(室)

「そのような大役を我等に?」

(父)

「うむ。色々考えたのだが、福岡の町は長政をはじめとする黒田藩が中心になって築いた武家町。

しかし、博多は一にも二にも博多商人の町。付け焼刃の我等が紹介するよりも御両名の方が適

役では、と考えてな。」

(子)

「しかも、我が家中には多兵衛や又兵衛のような粗暴な者が多い。博多に残る貴重な工芸品や寺

社仏閣を案内中に万が一壊されては天下の損失。」

(又)

「粗暴という点では殿も我等と変わらぬような・・・・。」

(子)

「黙っとれ!」

(父)

「宗室殿と宗湛殿が案内役の方が皆様も喜ばれると思うのだが、どうであろう?」

(湛)

「黒田様もこう仰っているし、お引受けしましょう、叔父さん!」

(室)

「分かりました。その大役、お引受け致しましょう。」

(子)

「かたじけない。」

(父)

「宜しくお願いしますぞ。」

(又)

「おお、茶会の最中に雪が降り始めましたぞ。何と雅な!」

(父)

「本当じゃのう・・・・。」

(子)

「父上、次は梅の時期にでも再び茶会を催しましょう。」

(多)

「その時こそは、それがしが再び美味い茶を点て申そう。」

(一同)

「・・・・(当惑の表情)。」

[続く]